2008年10月01日
ディズニーの新しい本が出版されました。
著者の上澤昇さんは、長くディズニーの成長と共に
お仕事をされていらっしゃったので、エピソードも豊富です。
前書きの一部を少し長くなりますが、引用させていただきます。
「その幸福の中身は、たとえば、次のようなものです。
口も利けず、目も見えず、耳も聞こえず、ほとんど寝たきりを余儀なくされている―そんな重度の障害を持って生まれてきた、あるお子さんがいました。そのお母さんは一度でいいから、そのお子さんをTDLに連れていってやりたと思い、主治医に相談しました。
主治医は、最初は反対したものの、お母さんの熱意に負けて、お子さんをベッド型の車椅子に乗せること、たくさんの薬と緊急用の酸素ボンベも携帯することなどを条件に、その親子のTDL行きを許可したのです。
当日、重い車椅子を押しながら、いくつかのアトラクションをめぐったあと、お二人はお目当ての夜のエレクトリカルパレードを観覧することになりました。
パレードが始まってしばらく、魅入られたようにミッキーたちの行進に顔を向けているお子さんを見て、お母さんは息を飲みました。光彩のきらめきを映すお子さんの顔にはあきらかに、これまでにはない変化が現れていたからです。
何を見ても、どんな反応も示さなかったお子さんの目はしっかりと光の動きを追い、凍りついたように硬直していた口もとには、いかにも楽しそうな笑みが浮かんでいたのです。
それはお母さんが初めてわが子に見た、豊な表情の芽生えであり、「命」の確かな鼓動といえるものでした。パレードの光の明滅に促されるように、いま、この子の命が息づいている、見えないはずの目で光を見て、聞こえないはずの耳で音を聞いている―そう思ったとたん、お母さんは涙を抑えきれなくなってしまったそうです。
後日、私たちはこのお母さんから手紙を頂戴しました。
「翌日の昼のパレードでも、女性ダンサーの方がわざわざ踊りの列を抜け出して、息子の手をとりながら、『よく来てくださいました』と声をかけてくれました。来てよかった、生きていてよかったと、そのときも涙がとまりませんでした。」
さらにその後日、私はある医者に、このことを話してみました。すると医者は少し黙ったあとで、「医学を超えた世界だね。難病に萎えている生命力を復活される、そういう“奇跡”はわれわれには起こせないことだ、しかしディズニーランドには、その力があるということなのかもしれない」と自らにいい聞かせるように呟いたのです。」
「こうした「小さな奇跡」がどれほど私たちスタッフを喜ばせ、感動させ、励まし、勇気づけたことか。仕事の充実感ややりがい、さらには生きがいの源となるものか。私の乏しい語彙ではとうてい表現できない気がします。
一つはっきりいえるのは、お客さまの喜びはこだまのように、その喜びをもたらす役割をこなす私たちスタッフにこそ、より大きな幸福となって返ってくるという事実です。」
いかがでしょうか。
このエピソードだけでも感動してしまいます。
ぜひお読みください。